< /head>

分析とは何か

安宅和人氏の「イシューからはじめよ 知的生産の『シンプルな本質』」を読んだ。実践に裏打ちされた知的生産の技法が語られており、とても切れ味のいい本である。

著者によれば、「バリューのある仕事」とは、「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性」としての「イシュー度」が高く、しかも「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」、即ち「解の質」が高い仕事であるという。生産性の低い働き方は、イシュー度の低い仕事についてひたすら解の質をあげようとするようなあり方であり、それを著者は「犬の道」と呼ぶ。犬の道を避けるためには、よいイシューを見極めることが大切になる。

著者は、良いイシューの条件として、①本質的な選択肢であること、②深い仮説があること、③答えを出せること、の3点を挙げる。

深い仮説を持つための方法として、a,常識を否定してみることが効果的である。あるいは、b,「検討の対象を『新しい構造』で説明することが挙げられる。

物事の「構造的な理解」には次の4パターンがあるという。これは大変に参考となる。即ち、(1)共通性の発見、(2)関係性の発見、(3)グルーピングの発見、(4)ルールの発見。

またよいイシューに辿りつくためには、それを発見するための材料が必要であり、著者は、ア)一次情報に触れること、イ)基本となる情報をスキャンする(調べる)、ウ)情報を集め過ぎず知りすぎないことを情報収集のコツとして挙げる。こうした手順でもイシューが特定できない場合の方法として、著者は次の5つを挙げる。A変数を削る、B視覚化する、C最終形からたどる、D「So what?」を繰り返す、E極端な事例を考える

イシューが特定できたら、次は、そのイシューを分解しストーリーラインを組み立てることが必要だと著者はいう(第2章)。そしてストーリーを絵コンテ化し(第3章)、実際の分析を進めていく(第4章)。そして最後の分析結果としての回答をメッセージとしてまとめる(第5章)。

概ね、以上のような流れである。

著者は、ニューロサイエンスの研究者でもあり、マーケティングの実務家でもある。その両方の知見がうまくブレンドされ、通常のビジネス書とは異なる深さが、この本では実現されている。特に舌を巻いたのは「分析」論。

分析の本質は何か?著者は、「分析とは比較、すなわち比べること」(p150)であるという。「分析では適切な『比較の軸』がカギとなる。どのような軸で何と何を比較するとそのイシューに答えが出るのかを考える」ことが大切だと著者は言う。

定量分析における比較は、著者によれば、次の3種類に限られるという。

1.比較
⇒何らかの共通軸で2つ以上の値を比べる。

2.構成
⇒全体と部分を比較すること。

3.変化
⇒同じものを時間軸の上で比較すること。

言われてみると、そのとおりだと思う。また「構造化して推定する」(p188~190)という部分を読んでフェルミ推定について、とても関心がわいた。この本は、どこをとっても、切れ味がいい。その切れ味の清々しさを味読すべきだと思う。良書。

パワーシフト

アルビン・トフラー「パワーシフト」を読んだ。トフラーの「第三の波」は1980年に書かれた本であるが、「第三の波」でトフラーが提示したプロシューマという概念は現在でも有効である。何よりも、このブログ自体が正にプロシューマの実践例である。この本は、「第三の波」「未来の衝撃」とともに三部作をなし、その完結編ともいえる位置づけの書である。原書の出版は1990年

「暴力や金力で立ち向かうように仕掛けられた時でも、知識を使えば他の方法で立ち向かえる。知識は最高質の力を生み出すのだ」。トフラーは、この本において、「権力を行使する道具・梃子」が、暴力や金力から、知識へと移行していることを指摘している。パワーシフトというタイトルは、そのことに由来している。

「ある程度の不平等の存在はそれ自体では不道徳ではない。道徳に反するのは、力をもたらす諸々の手段を悪配分し、その状態のまま凍結してしまうシステムである。」これはトフラーの社会観が伺われる言葉である。自由競争を是認する以上、ある程度の不平等が生じるのはやむを得ない。しかし特定の社会経済関係が固定され、階級化されることは望ましくない。社会経済が常に流動し続けることが好ましいとトフラーは考えているようだ。そして、暴力や金力による支配から、知識へのパワーシフトは、社会構造を変えることになり、そこにトフラーは可能性を見出していると言えるだろう。

この本は、知識社会の到来を指摘した一冊と言えるが、この本から、トフラーの考える知識のあり方を示す言葉を引用させていただく。

「知識の新しいネットワークが創られつつあるということである。いろいろな概念が肝と潰すような形で互いに結びつき、驚くべき推論のヒエラルキーが構築され、新奇な前提と新しい言語、符号、論理を土台とした新しい理論、仮定、想念が生まれてくる、といった具合にネットワークがつくられつつあるのだ。」

「データを様々な方法で相互に関係づけ、それらに文脈を与え、そうすることによってデータを情報へと整えていることだ。そして情報の束をどんどん膨らませて、各種のモデルと知識の殿堂を創りあげていることだ」(上p139)

収集されたデータから情報が生み出され、その膨大な情報から知識が生まれ、さらにその知識がネットワーク化され、新しい知が生み出される。ここで為されるネットワーク化は、「いろいろな概念が肝と潰すような形で互いに結びつき」という表現から伺えるように、従来の知の体系に囚われず、むしろそれを覆すことを含意する。ちなみに、このブログにおいて僕が為そうとしていることは、ささやかながら、個人レベルでの、そうした知識創造の実践である。こうした知識創造のプロセスが社会全体で加速化・最大化され、「経済の全基盤に革命的変化」が生じ、これまでとは極端に違うルールに基づく「超象徴経済」とでもいうべきものが現出する。仕事の内容も「シンボル操作にますます頼るようになる」とトフラーは言う。シンボルアナリストという存在の台頭である。

その後、さらに歴史は動き、貨幣が実体経済から飛翔し、いわばシンボルとして操作される事態、知識そのものの創出より、知識が集積するプラットフォームを支配するGAFAのような存在がパワーを持つという事態などが生じている。この本でトフラーが指摘している事項には、こうした時代や社会のダイナミックな変化を的確に捉えているものもあり、現在読んでも学べることがある。トフラーという人は、本質を見抜く力を持った稀有な存在であったと思う。過去を振り返り、何が時代の変化を規定する本質であったか、それを確認し、考えるうえで、トフラーの三部作は、再読する価値がある。

タイムマシンとしての読書

野中郁次郎氏の「俊敏な知識創造経営 東芝 ナレッジマネジメントの研究」(ダイヤモンド社)を読んだ。東芝をモデルケースとしながら、マネジメントのあり方について述べた本である。1997年に出版された本であるが、東芝は日本を代表する名門企業であり、その当時、野中氏がモデルケースとして択んだこともわからなくもないが、東芝の不正会計問題、その後の経営危機を知っている2020年の僕らからみたとき、極めて複雑な気持ちになる。

普通、僕らは不確定な明日に、少しでも見通しをつけ、より賢く振舞うために、本を開く。そのために、できるだけ、新しい本を読もうとする。20年も、30年も前の本を読もうとはしない。しかし敢えて過去の本を紐解いてみると、現在とのギャップが見えて興味深い。

何年も前に書かれた過去の本を開くとき、僕らは、その本の書かれた当時からすれば、遥かな未来を知っているのであって、タイムマシンに乗って未来から来た者のようにして過去と接する。おそらく過去へとタイムスリップした人間が経験するような感覚を、僕らは読書することで疑似体験することができるだろう。

この本には当時の東芝の代表が登場し、これからの経営戦略のあり方などについて自らの考えを披歴したりもしているのだが、東日本大震災・福島原発事故以後に露呈することなった東芝の経営危機、その一因と言われている米原発会社ウェスチングハウス社買収に、当時の代表は当事者として関わったと言われている。経営は、ある意味では、結果が全てであり、しかもその結果は、必ずしもコントロールできるものではないから、本当に怖く難しい。優秀だと言われていた経営者が、数年後には、愚劣という烙印を押されることも少なくない。

この本が書かれた1990年代終わり頃は、ナレッジマネジメントが一種のブームであり、日本におけるその第一人者が、この本の著者、野中郁次郎氏である。この本においても、野中氏がナレッジマネジメントに関する理論や手法を披瀝しており、その部分は現在でも通用する。野中氏は企業において、ナレッジマネジメントを司るナレッジ・エンジニアに求められる資質として、つぎの7項目を挙げている。

1プロジェクトを調整・管理する第一級の能力を持っていること

2新しいコンセプトを創るための仮説設定能力を持っていること

3知識創造のための様々な手法を統合する能力があること

4チーム・メンバー間の対話を促すコミュニケーション・スキルの体得

5メタファーを用いて他の人がイメージを創り出し、それを言語化するのを助けることに長けていること

6チーム・メンバー間の信頼感を醸成できること

7歴史を理解し、それに基づいて未来の行動経路を描き出す能力を有すること。

いずれも重要なポイントであり、決して古びていない。知は時代を超えて生き残るのだ。特に最後のポイントが余りにも示唆的ではないか。歴史を理解し、それに基づいて未来の行動経路を描き出す能力を有すること・・・・・僕らは未来を知るためのタイムマシンを持っていない。ただ過去を知るためのタイムマシンとしての読書をすることはできる。そして歴史は繰り返す。だから未来を知るためには、過去を知り、過去から学ぶことが有効なのであろう。経営者は、予測不可能な未来と向き合い続けなければならない。だからこそ、経営者は、過去を知り、過去から教訓を得ることが必要である。野中氏の挙げる7番目のポイントは、そのことを教えている。

過去に書かれた本を読むこと。古典と言われる本を読むことの意義は、誰もが唱える。それは疑いようもなく正しい。しかし、ここで強調したいのは、誰も見向きもしなくなったような、20年も30年も前の本を開くことの意義である。未来から来た者として、その本を開いたとき、僕らは思わぬ発見をし、教訓を得ることができる。その本が、あるいは反面教師の役割を果たすことも多いだろう。しかし、そこに浅慮や判断の過ちが刻印されていればいるほど、その本は、僕らにとても大切なことを教えてくれる。