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神祇官制度

渋谷申博氏の「諸国神社 一宮・二宮・三宮」(山川出版社)を読んだ。渋谷氏は一宮を制度として捉えているが、「いつ、誰が、なんの目的でこの制度を制定したのか、わからない」とし、「まことに不思議なことだ」という。この本では、一宮のみならず三宮まで扱われているが、「三宮まで視野を広げて展望することによって、一宮制度がたんなる神社のランキングではなく、国衙(国司の執務施設)と密接に連携した宗教統治システムであったことを立体的に検討」(P 37)する目的があったという。

歴史系の書籍において、筆者が知識あるゆえに、読者も知っているとの想定で説明を端折ってしまい、読者が置いてけぼりをくらうことが少なくない。しかしこの本は、そうしたことが全く無い。大変に読みやすい文章で、門外漢の一般読者にもわかりやすいように、順序だてて記述されている。全国の主要な神社ガイドとしても優れた一冊だと思う。

その例証も兼ねて、大和朝廷の神祇官制度に関する箇所を引用させていただく。「日本を統一した大和朝廷は、全国の神々の祭祀権を掌中にすることにより、政治・軍事の面だけではなく、精神面でも諸国を支配下に置こうとした。そのために設置された行政組織が神祇官であった。」(中略)「朝廷は諸国の主要な神社を神祇官に所属する官社とし、そこに仕える神職を祝部(ほふりべ)という官人に任じた。官社は神祇官に倣って祈念祭・月次祭・新嘗祭などを行うこととし、その幣帛(供物・祭祀料)を受け取るために各神社の祝部は神祇官に出仕することとした。これを班幣という。神祇官で幣帛を受け取った各神社の祝部は地元に戻って神祇令に定められたとおりに祭儀を行い、天皇中心の神話(「古事記」「日本書紀」で語られているもの)に基づく祝詞を唱えた。これによって、「古事記」「日本書紀」の神話(記紀神話)が普及し、全国の神社の行事の共通化が進むことになった。」(中略)「神祇官制度によって、地域ごと、あるいは氏族ごとの信仰であったものが、神道というひとつの宗教へと発展したのである。」(p63-64)

地域や氏族ごとの個別の信仰だったものを、ひとつの神道といえるものに統合するうえで、神祇官制度が、どのように作用したか、大変にわかりやすく書かれている。

アドラー心理学

岩井俊憲氏の「働く人のためのアドラー心理学」(朝日文庫)を読んだ。アルフレッド・アドラーの心理学は、確かに数年前から一種のブームで、記憶では「嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え」(岸見一郎,古賀史健著・ダイヤモンド社 2013)という本あたりがブームの起点だったように思う。以来、ビジネス書のカテゴリーで多くのアドラー本が出版されている。

この本の著者、岩井氏は、長年にわたってアドラー心理学に基づき、企業研修やカウンセリングを実践して来た人で、アドラー心理学のビジネスシーンでの適用を説く上で最適の人と言えるだろう。この本では、プロローグでアドラー心理学の基本がわかりやすく5つのポイントで説明され、続く第1章から働く人が精神的に心掛けるべき8つの習慣が説かれている。

アドラーの心理学は、心を病んだ人を対象とするフロイト、ユングの心理学とは異なり、その「主な対象者は、普通の人々」であり、「ちょっとした仕事の失敗や人間関係のこじれなどが原因で、普段よりも心が疲れてしまった人こそ学び、実践してほしいと、アドラー心理学はつくり出された」(p8)と岩井氏は言う。

アドラーは兄と比べ、大変に身長が低く、その劣等感を克服する形で自身の心理学説を打ち立てた。彼の基本的な人間観は「人間は、自分の行動を自分で決められる」という「自己決定性」(p26)を尊重するものである。

また、フロイトの心理学が、人間の行動の因果関係を追求し、病的な行動の原因を追究し、それを性的要素に求めたのに対して、アドラーは「人間の行動には原因があるのではなく、未来の目的があるという考え方」(p32)を採用し、原因ではなく、対象者の主体的な目的のあり方を問題にした。岩井氏も指摘するとおり、「人間の心は、自然科学とは異なる」(p34)のである。

さらに自然科学では、観察対象をいくつかの要素に還元して分析するが、この点でも、アドラーは「人間は『部分』に分けられない。『全体』からとらえなければならない」(p35)とした。

アドラー心理学の特質が非常にコンパクトに述べられており、大変に参考になる。岩井氏が進める8つの習慣についても、具体例やエピソードが挙げられ、仕事における悩みの解決に対して即効性のあるアドバイスが満載されている。中身の詰まったとてもよい本だと思う。

古代日本人の信仰のありさま

戸矢学氏の「縄文の神が息づく一宮の秘密」(方丈社)を読んだ。

一宮(いちのみや)とは、「律令制の一つの国ごとに最上位の神を第一の宮と呼称したもの」であり、「自然発生的に各地方で唱えられたもの」(p8)である。

国の数は、天長一年(824)以降、畿内七道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)の68か国であり、律令制時代の法制書である延喜式においては、「それぞれの国力に応じて「大国」「上国」「中国」「下国」の四等級に分類」されていた。また神社に関する公的なリストとして「延喜式神名帳」が存在し、そこに記載された神社を「式内社」と呼び、その数は全国で2861社を数え、「そのうち明神大社(とくに霊験あらたかとされる神)とされるものは、224社」であった。戸矢氏は、一宮のうち、「下国以外において一宮であり、名神大社・大社であった神」という基準で択んだ四八社を「根源社」と名付け、この本で解説している。

神社では「二礼二拍手一礼」という定められた拝礼方式に従ってお参りするが、そんなとき手をあわせながら、古来からの伝統の重みを感じていた。しかし、その拝礼方式は、決して古来より守り続けられ続けた伝統のようなものではないらしい。

戸矢氏によれば、「現在私たちが承知し認識している神社信仰は、ほとんどが明治になってからのものである。明治政府によって宗教体制が新たに整備されて、新たな官国弊社制度と共に成立した。神社参拝の際の常識ともなっている「 二礼二拍手一礼」 の拝礼方式に統一されたのもこの時である。すなわち、まだ百数十年しか経っていない新しい信仰なのである。この時に全国のほとんどの神社が御神体を鏡に変更させられた。古来の御神体と共存する社もあったが、完全に変更してしまった社も少なくない。これはいわば象徴的な事件である。」(p16-17)

このように政治権力との関係で、神社信仰のありさまも変遷を遂げているが、戸矢氏は、「太古の昔から、あるがまま」の「日本人の古来信仰するもの」(p27)の在り処を根源社に求めようとする。そうしたテーマが本書のタイトル、「縄文の神が息づく一宮の秘密」に凝縮されている。例えば、天皇ご即位の際の大嘗祭は、稲の祭と考えるむきもあるが、戸矢氏は稲と粟の祭であると喝破する。稲の祭が弥生信仰であるのに対して、粟の祭は縄文信仰であり、それは稲作伝来以前から、日本にあり、いわば日本人の古来より信仰するものの原型がそこにはあると指摘する。

東京( かつての武蔵国 )の一宮は、どこか。戸矢氏は言う、「山王日枝神社でもなければ、まして神田明神でもなく、大國魂神社でもない。埼玉県さいたま市(旧・大宮市)の氷川神社である」(p75)と。氷川神社は、東京遷都直後に明治天皇が行幸し、御親祭されるなど、きわめて特別な扱いを受けているが、「研究者の興味関心をそそるような物や事、文献や考古遺物がきわめて」少なく 氷川神社に関しては満足な研究書さえほとんどない」。戸矢氏は「これほどに古い由緒があり、皇室からも重要視されていて、むしろ「何もない」ことこそが不可思議というものではないだろうか」と言う。そこから戸矢氏は稲荷山古墳に話を移し、かつての武蔵一帯に存在した国、その統治者に想いをいたす。

一宮の探究を通じて、古代日本人の信仰のありさまに触れることのできる一冊。