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シナジーということ

「IT全史 情報技術の2500年を読む」(中野明)は、情報技術の歴史を18世紀末まで遡り、説き起こした一冊。非常に文章も読みやすく、しかもコンパクト!

この本のエピローグにおいて、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが「原始的文化の健康度を示す基準として用いた」、「シナジー」という語句が紹介されている。「ベネディクトによると、個人や組織の利己主義が他人や社会を助けることにつながり、また他人を助けようとする利他主義が個人や組織に利益をもたらす状況、いわば「利己主義と利他主義の二分法の超越」がシナジーにほかならない」(p340)。そして「シナジーが高いほどその文化は健康的」であるという。

ネット社会においても、高いシナジーが存在する。その例として著者はSNSを挙げる。投稿者は自分の満足(「いいね」をもらえる)を追求しており、その意味で、利己的な活動に従事しているといえるが、その情報が他の参加者と共有されることで、「SNSは活性化してその価値は高まる」。「SNSの構造は極めてハイ・シナジーな特徴を備えている」(以上p342)。

しかし著者は実際のところは、営利企業が運営するSNSは「シナジーをマーケティングに活用したビジネスであり」、プラットフォームの「提供者が利益を独占する実はローシナジーなモデル」(p343)に過ぎないと喝破する。SNSが「共有地」として発展するほど、一部の企業に利益が集中する」のだ(p344)。

一部の企業によるインターネットの独占や寡占は好ましくないとする著者の主張は正にそのとおりだと僕も思う。インターネットのあり方はもっと多様で、未知の発展形態を採り得る可能性がある。現に中国に行くと、AmazonもGoogleもFacebookもYoutubeもない。もう一つのインターネットがそこには実在する。

確かに企業が提供する様々なサービスによって利便性が向上し、ぼくらもその便益を享受していることに間違いはない。しかし10年後、それらの企業のサービスが継続しているのかは、本当は誰にもわからない。だから、壁に囲われた快適な庭園に閉じ込められるのではなく、多少の不便は甘受してでも、未開拓地の可能性がふんだんに存在する、インターネットという広大な領域を少しでも直接感じることが大切であろう。それが僕自身が曲がりなりにもレンタルサーバと独自ドメインを用意し、CMSをインストールして、ブログを開設しようと思った理由である(そうは言っても、別にたいしたことはしていない)。せっかく無料で良質なサービスが受けられるのになぜ?という人もいるだろう。しかし、その一手間をかけるか否かするが、大きな差となると僕は考えている。

さらに今後は、もっとインターネットの根幹に近いところで、何かをしてみたいと思っている。根幹に近づけば近づくほど、新しい事業の可能性は広がるのだと思う。今、目の前にあるインターネットではない、もうひとつのインターネットを夢見ることが大切である。

失敗の効用

デイヴィッド・ケリー、トム・ケリー「クリエイティブ・マインドセット 想像力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法」を読んだ。

世界的なデザイン企業IDEOの創業者兄弟の著書。彼らが編み出したデザイン思考がどのようなものか、様々な事例とともに紹介されている。デザイン思考とは、「デザインを実践する人々の道具や考え方を用いて、人間のニーズを発見し、新しい解決策を生み出すための手法」(p45)であり、「直感的に物事をとらえ、パターンを認識し、機能的なだけでなく感情的にも意義のあるアイデアを組み立てる、人間の天性の能力を用いる」(p46)とされている。

IDEOでは様々なイノベーション・プログラムを実践しているが、そうしたプログラムにおいては、「技術的要因」に加え、「経済的な実現性」である「ビジネス的要因」、「人間のニーズを深く理解すること」を意味する「人的要因」の3つの交点を見出すことが成功のカギとなる(p37-40)という。まさにその交点を模索することこそが、デザイン思考の重要な部分である。

そして成功するプログラムは、たいていの場合、「「着想」「統合」「アイデア創造/実験」「実現」という4つの段階を含んでいる」(p40)という。この4つのプロセスのうち、「統合(synthesis)」の段階が僕には興味深かった。これは「意味づけ」という課題への挑戦であり、「それまでに目撃、収集、観察してきたすべての物事の中に、パターンやテーマ、意味を見つけ出」す段階といえる。この段階ではいくつかのルールやフレームワークが使われることになる(共感マップやマトリクス)。この段階で目指されることは「問題の枠組みをとらえ直し(リフレーミング)、どこに力を注ぐかを決める」ことである(以上、p42-43)。

情報を収集して、それを統合する、というと問題解決方法を見出すことを意味しそうだが、そうではないのだ。ここでいうところの統合は、問題を設定するために為される。当初の漠然とした問題意識や仮説を明確な問題に高めるのがこの段階と言えるだろう。僕らはともすると、問題解決を急ぐあまり、問題そのものを問うことをせず、事をなしてしまいがちである。しかし何よりも重要なのは、問題を発見することである。問題が良質であればあるほど、問題解決の効果も期待できる。そのことは、ビジネス書の名著である安宅和人氏の「イシューからはじめよ」においても、強調されていることだ。

この本は、クリエイティブでありたい人にとってはバイブルともいえる一冊だが、特に印象に残ったのは、失敗について書かれた箇所である。創造的な人物は失敗などしないように思われがちだが、実際はその逆だという。カリフォルニア大学デービス校のディーン・キース・シモトン教授の研究によれば、「クリエティブな人々は単純にほかの人よりも多くの実験をしている」のであって「最終的に天才的なひらめきが訪れるのは」、「単に、挑戦する回数が多いだけなのだ」という。この研究結果に基づき著者は言う、「これはイノベーションの意外で面白い数学的法則だ。もっと成功したいなら、もっと失敗する心の準備が必要なのだ」(以上p66-67)。そして、シリコンバレーのような「起業家を育む文化では」、失敗は忌避され許されないものではなく、むしろ「建設的な失敗」が称揚されるという。失敗を恐れてはいけないのだ。

これはとても重要な指摘だと思う。僕なりに敷衍して言えば、クリエイティブであるためには、次の条件が必要となるだろう。

1.自分自身が数多くのアイデアを出し得て、企画や試作品を次から次へと生み出せるような分野を選択しなければならない。

2.失敗から学び、修正を加えてチャレンジしなおす柔軟かつ意志的な姿勢がなければならない。

3.何度失敗しても、プロジェクトを継続できるだけの経済的基盤がなければならない。

このうち、3.については、「クリエイティブ・マインド」では特に指摘されてはいないが、クリエイティブな生き方を選ぼうとするとき、実際には最も重要な点だろう。失敗を繰り返しても、食うに困らない基盤をなんとかして確保することができるか?

16ビートのヘーゲル

精神は絶対の分裂に身を置くからこそ真理を獲得するのだ。
精神は否定的なものに目をそむけ、肯定のかたまりとなることで力を発揮するのではない。

精神が力を発揮するのは、まさしく否定的なものを直視し、そのもとにとどまるからなのだ。そこにとどまるなかから、否定的なものを存在へと逆転させる魔力がうまれるのである。

                ヘーゲル 『精神現象学』より

「精神現象学」という奇書。

短期間で一気呵成に書かれたと言われているが、
物凄いエネルギーを秘めた本。

意識が遍歴を重ね、真理へとたどり着くまでの
物語。そう、物語なんだ

わかりやすいと言われる長谷川宏氏の訳でも、
かなり面食らう。

最近文庫で翻訳が出たテオドール・W・アドルノの「三つのヘーゲル研究」に、ヘーゲルの読み方に関して書かれていて面白かった。

アドルノは言う。

「われわれはヘーゲルを読む場合、自分も一緒に精神的運動のカーブを描き、いわば思弁の耳で、彼の思想が楽譜であるかのように聴きながら、一緒にそれを演奏するという風に、読まねばならない」。

なるほど。

そうやって読むと、確かに速度がついて
Beatが生まれる。

ヘーゲルのbeatは、かなりヤバイよ。
16ビートのヘーゲル。