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散歩知性

散歩をするのが好きだ。散歩は、どこかに目的地があるわけではなく、過程そのものに意味がある。例えば、通勤で使うのと同じ道を、日曜の朝、ゆったりと散歩してみる。歩きながら、観察し、考える。すると普段、気づかなかったものが見えてくる。

ドイツの哲学者ニーチェは、「本当にすばらしい考えはみな散歩中に生まれる」と言ったそうだ。「クリエイティブ・マインドセット」(トム・ケリー&デイヴィッド・ケリー)には、問題に取り組むとき、「時には、問題に集中するのをやめ「リラックスした注意」(relaxed attention)を払うほうがいいこともある」(p124)という指摘がある。「この心理状態」は「完全に心を空っぽにする「瞑想」と、難しい数学の問題に取り組んでいるときのような鋭い「集中」とのちょうど中間に位置する」(p124)という。散歩する際に動いている知性は、そういう心理的状態に基づくものなのだろう。

日々、目先の課題に追われ、効率的な処理を追求するなかで、散歩する余裕のない人が多い。公共交通機関で30分で移動できるところを、たとえば散歩は2時間かけてのろのろと進むのだから、ある意味、贅沢である。多くの社会人が忙しく移動している平日の朝に散歩するのは、多少勇気がいるし、罪悪感も多少ある。しかし、本当は仕事の質を上げたいのであれば、そうした非効率的な時間こそが意味を持つ。クリエイティブであるためには自由な時間が必須なのだ。

芸術創造とコミュニケーション

「アダンの画帖 田中一村伝」(南日本新聞社)を読んだ。

本を開いて、驚いた。クワズイモとソテツという一枚の絵。丹精された濃密な空間。一瞥してその絵に心を奪われた。この絵を描いた田中一村がどんな人物だったのかを知りたくて、読み始めた。田中一村(ウィキペディア)

この本から一村のことばを引用させていただく。

「絵かきは、わがまま勝手に描くところに、絵かきの値打ちがあるので、もしお客様の鼻息をうかがって描くようになったときは、それは生活の為の奴隷に転落したものと信じます。勝手気ままに描いたものが、偶然にも見る人の気持ちと一致することも稀にはある。それでよろしいかと思います。その為に絵かきが生活に窮したとしても致し方ないことでしょう。」(p65)

「絵は、一年、二年と熱中して集中的にかかないといいものはできないんです。途中で売り絵をかくと、緊張が途切れてしまい、元の水準の絵がかけなくなることがあるんです。」(p74)

「貧乏でなければ、いい絵はかけません」(p115)

こうした考えを抱く一村は、当然のことながらと言うべきか、生活に苦労しながら、絵を描き続けた。同窓の画家が大家となっていく一方で、一村は画壇で認められることもなく、奄美大島に移り住み、日給450円の職工として紬工場で働きながら、理想の絵を追い求め続ける。非常に美しい人生だと思う。

どんな生き方であったとしても、そのようにしか生きられない、宿命ともいうべき、自分らしい生き方を突き詰めていくと、それによって描かれた軌跡には、その人なりの真実が宿り、輝きを発し始める。

生前から多くの人に受け容れられ賞賛を浴びるタイプの芸術家と、一村のように、生きているときには、あまり評価されず、死後評価を受けるタイプの芸術家がいるが、両者の違いはどこにあるのだろう。

芸術表現というのは、人間のコミュニケーションの一形態だと思うが、他のコミュニケーション形態と異なるのは、ある面において、他者とのコミュニケーションを拒絶する局面をもつことだ。芸術創造においては、目の前の他者に背を向けて、自分自身に閉じこもることが必須のプロセスとしてあるのではないか。そして芸術家は、自ら創作した作品という媒介物を介して、他者とのコミュニケーションを改めて試みるのだ。

そして、一村のようなタイプの芸術家は、そうした芸術創造のプロセスと、生きることそのものの一体化を目指そうとしているように思える。そうでないタイプの芸術家は、芸術創造と日常生活を分け、二つの顔を使い分けることができるだろう。つまり芸術表現でない、普通のコミュニケーションもできるということだ。

一村の絵はとても厳しい。異様なまでの緊張感が漂っていて、それは倫理的な厳しさと言ってもいいかもしれない。そこに僕も感動して心惹かれるわけだが、その一方で一村の絵には、圧倒的に欠けているものがある。それは、他者と呼ばれる人間存在だ。

僕は、一村のようなタイプこそが真の芸術家であるなどとは思わないし、言いたくもない。一旦は他者とのコミュニケーションを遮断して、自分自身に籠ろうとしても、完全には自己完結できず、他者の眼を気にしてしまう。そんな迷いのなかで創作するあり方、芸術創造の場面においても、世俗的な価値観や日常生活的な意識が浸透してくるようなあり方に僕は共感を覚える。

ノイズ

インゴ・メッツマッハー氏の「新しい音を恐れるな 現代音楽、複数の肖像」を読んだ。この本で氏は、ノイズについて次のように語る。

「ぼくたちが耳にするものの大半はノイズだ。構造のない響き。音楽の世界でいう「音」とは違う。楽音は特別だ。楽音には規則的な振動がある。これは、あたりまえのことではない。たえず音響を発しているこの世界では、規則正しい振動の方が例外だ。」(p126)「ノイズの世界は無限だ。大いなる自由を秘め、生そのものがそこにある。不安を感じることもあるだろう。もしかすると、音楽の世界がこれほど長い間ノイズを排除してきた本当の理由は、ここにあるのかもしれない。」(p128)

宗教的な秩序立った世界が破綻するにつれ、ノイズが「工業化社会の生の真実をあらわす音」として意味を持ち始めたと インゴ・メッツマッハー氏 は指摘する。第二次世界大戦後のパリで、「ミュジック・コンクレートが誕生」し、「このときから、電子音楽スタジオで音楽が作られるようになる。録音テープと正弦波ジェネレータを使って。」これによって音楽家は「自分だけの楽器を持ちたいという昔からの夢」を実現することなる(p132)。

電子音楽のパイオニア、カールハインツ・シュトックハウゼン思い出をメッツマッハー氏は次のように語る。

「コンタクテ」という作品における「個々の音をスタジオでどうやって作ったのか。シュトックハウゼン本人から聞いたことがある。『コンタクテ』の場合は、まず木、革、金属などいろんな材質のものを叩き、それを録音して、なんらかの楽音やノイズに聞えるまで加速した」(p136)という。音の振動(パルス)が不規則であれば、ノイズとなるが、振動を加速していくと、発振が連続し、個別の振動は聞えなくなり、替わりに「ある音高をもった音として聞える」ようになるという。「シュトックハウゼンはスパゲティを作るのに、まず麺を手打ちするところから始めたのだ。」(P 137)。