ミルトン・メイヤロフ「ケアの本質」を読んだ。
ケアとは、たとえば両親が子供に、教師が生徒に対して行うものであり、「相手が成長し、自己実現することをたすけることとしてのケアは、ひとつの過程であり、展開を内にはらみつつ人に関与するあり方であり」、その過程は「成長するものなのである」(p14)。 ケアは、される者にとって意味があるだけではなく、ケアを施す者にとっても大きな意味がある。即ちケアする者は、それによって「自分の落ち着き場所」を得ることができるのだ。ケアを通じて「その人は自身の生の真の意味を生き」(p15)ることができるという。
正直に言って、あまり読みやすい本ではない。翻訳の問題なのか、原文自体がそうなのかはわからない。ただ重要なことが書いてあることに間違いはない。例えば「学ぶ」ということについて、「学ぶとは、知識や技術を単に増やすことではなく、根本的に新しい経験や考えを全人格的に受けとめていくことをとおして、その人格が再創造されることなのである。」(p29) 確かに本当の学びとはそういうものだろう。本を読むときでも、小手先の読みで済ますのではなく、「全人格的に受けとめていく」ことが必要なのだろう。そのためには、読んだだけで済ませてはならない。考えねばならない。記憶せねばならない。そして、繰り返し考えねばならない
ケアというと、他人を対象とすると考えられるが、著者はそれに限らないという。「ある意味では、私たちは他のたくさんのものやことを同様にケアすることがある。私たちは新構想(哲学的または芸術上の概念)や、ある理想や、ある共同社会をケアすることがある。」(p14)芸術家が作品を創ることも、ちょうど、親が子をケアするのと同様の関係にあると著者は言う。「芸術家が、彼の産み出した”芸術的精神の息子”について、その子供自身が生命を持っており、成長したいと努力しており、成長するためには彼を必要としていると感じとっている」(p21)。芸術家は自らの作品を息子のように感じ捉えている。ベンシャーンの次のような言葉も巻末の付録で紹介されている。「難しいことは言いたくないが、絵を描いているとき、絵の方からある要求をするようなときがある。(中略)絵というものは断言してもよいが、生き物なのである。」そうしたことから、僕はこの本を創作論として読んだ。
この本には「ケアの主な要素」として、知識、リズムを変えること、忍耐、正直、信頼、謙遜、希望、勇気が挙げられている。これらは、創作を行う上でも重要な要素となる。僕はこれから、作品を創作するときは、その作品をケアするという言い方をしたいと思う。たしかに、親が子供を育てるようなあり方で、作成途上の作品に接することがある。創作論として重要なことが「勇気」に関する箇所にあるので、引用させていただく。
「今日の流行を離れて自らの道をゆく芸術家の勇気(中略)このようにして、この芸術家は自らを発見し、本来の自己たり得るのである。このような勇気は盲目ではない。過去の経験により洞察力が備わっており、現在に対しても開かれていて感受性も鋭いからである。相手が成長していくこと、私のケアする能力ーこの二つを信頼することは、未知の世界に私が分け入って行くにあたって勇気を与えてくれる。」(p64-65)
そのときの流行を取り入れることに汲々とするのではなく、これまでの自分の作品創作に関する経験や、その分野の作品の鑑賞によって培ってきたセンスなどに基づき、今、まさに目の前にある作品の成長する力を信頼し、ケアし続けることが肝要である。この本を読んで勇気をもらえた。