散歩をするのが好きだ。散歩は、どこかに目的地があるわけではなく、過程そのものに意味がある。例えば、通勤で使うのと同じ道を、日曜の朝、ゆったりと散歩してみる。歩きながら、観察し、考える。すると普段、気づかなかったものが見えてくる。
ドイツの哲学者ニーチェは、「本当にすばらしい考えはみな散歩中に生まれる」と言ったそうだ。「クリエイティブ・マインドセット」(トム・ケリー&デイヴィッド・ケリー)には、問題に取り組むとき、「時には、問題に集中するのをやめ「リラックスした注意」(relaxed attention)を払うほうがいいこともある」(p124)という指摘がある。「この心理状態」は「完全に心を空っぽにする「瞑想」と、難しい数学の問題に取り組んでいるときのような鋭い「集中」とのちょうど中間に位置する」(p124)という。散歩する際に動いている知性は、そういう心理的状態に基づくものなのだろう。
日々、目先の課題に追われ、効率的な処理を追求するなかで、散歩する余裕のない人が多い。公共交通機関で30分で移動できるところを、たとえば散歩は2時間かけてのろのろと進むのだから、ある意味、贅沢である。多くの社会人が忙しく移動している平日の朝に散歩するのは、多少勇気がいるし、罪悪感も多少ある。しかし、本当は仕事の質を上げたいのであれば、そうした非効率的な時間こそが意味を持つ。クリエイティブであるためには自由な時間が必須なのだ。