「アダンの画帖 田中一村伝」(南日本新聞社)を読んだ。
本を開いて、驚いた。クワズイモとソテツという一枚の絵。丹精された濃密な空間。一瞥してその絵に心を奪われた。この絵を描いた田中一村がどんな人物だったのかを知りたくて、読み始めた。田中一村(ウィキペディア)
この本から一村のことばを引用させていただく。
「絵かきは、わがまま勝手に描くところに、絵かきの値打ちがあるので、もしお客様の鼻息をうかがって描くようになったときは、それは生活の為の奴隷に転落したものと信じます。勝手気ままに描いたものが、偶然にも見る人の気持ちと一致することも稀にはある。それでよろしいかと思います。その為に絵かきが生活に窮したとしても致し方ないことでしょう。」(p65)
「絵は、一年、二年と熱中して集中的にかかないといいものはできないんです。途中で売り絵をかくと、緊張が途切れてしまい、元の水準の絵がかけなくなることがあるんです。」(p74)
「貧乏でなければ、いい絵はかけません」(p115)
こうした考えを抱く一村は、当然のことながらと言うべきか、生活に苦労しながら、絵を描き続けた。同窓の画家が大家となっていく一方で、一村は画壇で認められることもなく、奄美大島に移り住み、日給450円の職工として紬工場で働きながら、理想の絵を追い求め続ける。非常に美しい人生だと思う。
どんな生き方であったとしても、そのようにしか生きられない、宿命ともいうべき、自分らしい生き方を突き詰めていくと、それによって描かれた軌跡には、その人なりの真実が宿り、輝きを発し始める。
生前から多くの人に受け容れられ賞賛を浴びるタイプの芸術家と、一村のように、生きているときには、あまり評価されず、死後評価を受けるタイプの芸術家がいるが、両者の違いはどこにあるのだろう。
芸術表現というのは、人間のコミュニケーションの一形態だと思うが、他のコミュニケーション形態と異なるのは、ある面において、他者とのコミュニケーションを拒絶する局面をもつことだ。芸術創造においては、目の前の他者に背を向けて、自分自身に閉じこもることが必須のプロセスとしてあるのではないか。そして芸術家は、自ら創作した作品という媒介物を介して、他者とのコミュニケーションを改めて試みるのだ。
そして、一村のようなタイプの芸術家は、そうした芸術創造のプロセスと、生きることそのものの一体化を目指そうとしているように思える。そうでないタイプの芸術家は、芸術創造と日常生活を分け、二つの顔を使い分けることができるだろう。つまり芸術表現でない、普通のコミュニケーションもできるということだ。
一村の絵はとても厳しい。異様なまでの緊張感が漂っていて、それは倫理的な厳しさと言ってもいいかもしれない。そこに僕も感動して心惹かれるわけだが、その一方で一村の絵には、圧倒的に欠けているものがある。それは、他者と呼ばれる人間存在だ。
僕は、一村のようなタイプこそが真の芸術家であるなどとは思わないし、言いたくもない。一旦は他者とのコミュニケーションを遮断して、自分自身に籠ろうとしても、完全には自己完結できず、他者の眼を気にしてしまう。そんな迷いのなかで創作するあり方、芸術創造の場面においても、世俗的な価値観や日常生活的な意識が浸透してくるようなあり方に僕は共感を覚える。