現在ぼくは55歳だが、1970年代の後半、中学生だったぼくは航空ファンであった。自宅の近くに航空自衛隊入間基地があり、毎年の航空祭のほか、3年毎には、国際航空宇宙ショーの会場となっていた。なかでも1976年の国際航空宇宙ショーは、次期主力戦闘機の選定前で当時最新鋭だったF14、F15の参加が目玉で、垂直離着陸のハリヤーや、国産水力両用機US1なども展示に華を添え、大いに盛り上がった。また民間の桶川飛行場にも何度か訪れ、復元された零戦の里帰りフライト(1978年)を観たことなども懐かしい。低空で地面を舐めるように掠めるエンジン音・・・こうした興奮や心の震えは今でも忘れることができない。
その当時のぼくのヒーローは、深紅の複葉機、ピッツスペシャル( ピッツS-2 )を駆って、きりもみや背面飛行など、アクロバティックなフライトで観衆を魅了した一人のヒコーキ野郎。新妻東一さん。彼の率いるレッド・イーグルスは航空自衛隊のブルーインパルスとともに、航空ショーの花形であった。フランス人とのハーフで、日本人離れした風貌と、旧日本陸軍航空隊仕込みの武人精神に由来するであろう、紳士的なふるまい。ぼくはレッド・イーグルスの長いつばの赤い帽子にサインをしてもらい、自分の部屋に飾っていた。当時の新妻さんは50代後半か。中学生のぼくからすれば、おじさんというより、恰幅のいいおじいさんに見えた。しかし途轍もなくカッコよかった。将来はこんなジジイになりたいと憧れていた。
その後、ぼくは文学やロックミュージックに心惹かれるようになり、 航空ファンであることも忘れてしまった。最近になって、ふと新妻さんのことが気になった。おそらく自分が当時の新妻さんの年齢に近づいたことも関係するだろう。それでネットで検索をして1997年に75歳でお亡くなりになられていたことを知った。そして驚いたことに、新妻さんには役者 東銀之介というもう一つの顔があった!58歳で渡辺えり子さんの主宰する劇団3〇〇に参加し、亡くなるまで役者としての活動をしていたのだ。
役者 東銀之介について知りたくて、早速、渡辺えり子さんの「早すぎる自叙伝 えり子の冒険」(小学館)を購入して読んでみた。この本には、涙と汗がつまっており、読みながら声を出して笑ってしまう瞬間もあり、文章の力にうならされた。そして何より渡辺さんの演劇に向けるひたむさに心を打たれ勇気をもらった。有名になり、テレビなどでひっぱりだこになった頃「有名になるまでの下積み時代の話を書いてほしい」という依頼が来たことに対して 渡辺さんは「一番頭にきましたね」と述懐する。「これは私だけじゃなくて芝居をやってきた人たちはみんな言うことですけど、お金にならないからって小劇場は「下積み」じゃないんです。いい芝居を作ろうと必死になってやっているのは、有名でも有名じゃなくても変わらないんです」(p103)。この箇所は読んでいて胸が熱くなった。
そして渡辺えり子さんが語る東銀之介という役者・・・数ページにわたって、万感の想いをこめて語られている内容は、ぜひ本書で確認してほしいが、感想を述べるなら、新妻さんが東銀之介になったのは、おそらく渡辺えり子さんの演劇に向けたひたむきな生き方と共振した結果ではないか。そして魂の共振が起きたのは、新妻さんがパイロットとして、ひたむきに一つの道を窮めてきたからこそだと思う。
中学時代のぼくのヒーローは、やはり真にカッコいい存在だった。この本を読んでそのことを確認できた。新妻さんのカッコよさの源を敢えて一言でいうならば「ひたむきさ」となるだろう。
ぶれることのないひたむさきをもって、ぼくも生きたい。強くそう思う。