野中郁次郎氏の「俊敏な知識創造経営 東芝 ナレッジマネジメントの研究」(ダイヤモンド社)を読んだ。東芝をモデルケースとしながら、マネジメントのあり方について述べた本である。1997年に出版された本であるが、東芝は日本を代表する名門企業であり、その当時、野中氏がモデルケースとして択んだこともわからなくもないが、東芝の不正会計問題、その後の経営危機を知っている2020年の僕らからみたとき、極めて複雑な気持ちになる。
普通、僕らは不確定な明日に、少しでも見通しをつけ、より賢く振舞うために、本を開く。そのために、できるだけ、新しい本を読もうとする。20年も、30年も前の本を読もうとはしない。しかし敢えて過去の本を紐解いてみると、現在とのギャップが見えて興味深い。
何年も前に書かれた過去の本を開くとき、僕らは、その本の書かれた当時からすれば、遥かな未来を知っているのであって、タイムマシンに乗って未来から来た者のようにして過去と接する。おそらく過去へとタイムスリップした人間が経験するような感覚を、僕らは読書することで疑似体験することができるだろう。
この本には当時の東芝の代表が登場し、これからの経営戦略のあり方などについて自らの考えを披歴したりもしているのだが、東日本大震災・福島原発事故以後に露呈することなった東芝の経営危機、その一因と言われている米原発会社ウェスチングハウス社買収に、当時の代表は当事者として関わったと言われている。経営は、ある意味では、結果が全てであり、しかもその結果は、必ずしもコントロールできるものではないから、本当に怖く難しい。優秀だと言われていた経営者が、数年後には、愚劣という烙印を押されることも少なくない。
この本が書かれた1990年代終わり頃は、ナレッジマネジメントが一種のブームであり、日本におけるその第一人者が、この本の著者、野中郁次郎氏である。この本においても、野中氏がナレッジマネジメントに関する理論や手法を披瀝しており、その部分は現在でも通用する。野中氏は企業において、ナレッジマネジメントを司るナレッジ・エンジニアに求められる資質として、つぎの7項目を挙げている。
1プロジェクトを調整・管理する第一級の能力を持っていること
2新しいコンセプトを創るための仮説設定能力を持っていること
3知識創造のための様々な手法を統合する能力があること
4チーム・メンバー間の対話を促すコミュニケーション・スキルの体得
5メタファーを用いて他の人がイメージを創り出し、それを言語化するのを助けることに長けていること
6チーム・メンバー間の信頼感を醸成できること
7歴史を理解し、それに基づいて未来の行動経路を描き出す能力を有すること。
いずれも重要なポイントであり、決して古びていない。知は時代を超えて生き残るのだ。特に最後のポイントが余りにも示唆的ではないか。歴史を理解し、それに基づいて未来の行動経路を描き出す能力を有すること・・・・・僕らは未来を知るためのタイムマシンを持っていない。ただ過去を知るためのタイムマシンとしての読書をすることはできる。そして歴史は繰り返す。だから未来を知るためには、過去を知り、過去から学ぶことが有効なのであろう。経営者は、予測不可能な未来と向き合い続けなければならない。だからこそ、経営者は、過去を知り、過去から教訓を得ることが必要である。野中氏の挙げる7番目のポイントは、そのことを教えている。
過去に書かれた本を読むこと。古典と言われる本を読むことの意義は、誰もが唱える。それは疑いようもなく正しい。しかし、ここで強調したいのは、誰も見向きもしなくなったような、20年も30年も前の本を開くことの意義である。未来から来た者として、その本を開いたとき、僕らは思わぬ発見をし、教訓を得ることができる。その本が、あるいは反面教師の役割を果たすことも多いだろう。しかし、そこに浅慮や判断の過ちが刻印されていればいるほど、その本は、僕らにとても大切なことを教えてくれる。