冨田恭彦氏の「詩としての哲学」を読んだ。
2007年に亡くなったアメリカの哲学者、リチャード・ローティー。彼が2004年にバージニア大学で行った講義は、”Philosophy as Poetry ”というタイトルで出版されている。そのタイトルを借りて、冨田氏が一つの哲学観を呈示したのが本書である。
ローティーは、「人間の意思とは関わりなく定まったものがあって、人間の使命は、それをあるがままに捉え、それに従って生きていくことだ-心の鏡を磨いて、虚心坦懐にその定まったものをあるがままに映すよう努めるのが人間の務めだ-という鏡的人間観に、強力な異議申し立てを」(p38)行った。この鏡的人間観を根底で支えているのが、「真理の対応説」と言われる考え方である。「私たちの信念や発言とは関わりなく(それらとは独立に)成り立っているものがあり、私たちの信念や発言が真であるのは、私たちの信念や発言がそうしたもののあり方に対応している場合だとする考えである」(p40)。ローティーは「真理の対応説」を徹底的に拒絶する。
ローティーが唱えた人間観は「詩人が新たな物事の捉え方を示して新たな耀きを私たちに与えてくれるように」、人間とは「新たな生き方・新たな考え方を創造することのできる、常に開かれた存在」(p38)というものであった。そして、そうした人間観を称揚し、「理性に対する想像力の優位」を主張するのが、「詩としての哲学」というローティーの哲学観である。
「真理の対応説」は、西洋哲学最大の源流とされるプラトンの思想そのものである。プラトンは理性を重んじ、想像力は 人を誤謬に導く 、理性に劣るものとし、その著書「国家」において、想像力の申し子ともいうべき詩人を追放すべしとした。それに対してローティーは、「私たちは、自分が直面しているさまざまな問題に対処するため、想像力を駆使して解決策を探るしかなく、理性はその場合、想像力が新たに提案するものをさまざまな観点から検討し、詰めの作業を行うもの」(p41)と考えた。
想像力を重んじる「詩としての哲学」は、18世紀後半のイギリスのロマン派詩人たちの思想に端を発し、その思想は大西洋を渡り、19世紀アメリカの思想家エマソンに影響を与え、さらにエマソンの思想は、再び大西洋を渡り、19世紀ドイツの哲学者ニーチェに影響を与えたとされる。このように欧米諸国における相互影響によって命脈を保ち続けた思想的な伝統は、リチャード・ローティーによって「詩としての哲学」と名付けられたのである。
この本では、プラトン的な真理の対応説がなぜ機能しないのか、クワイン、デイヴィッドソンというアメリカを代表する哲学者の言語観から説き起こしたり、ローティーが拒絶したジョン・ロックの思想に、むしろ「詩としての哲学」の先駆とも言える創造的人間観があること、西洋哲学のひとつのピークを形成したカントが、アプリオリな原理として呈示したカテゴリーに含まれる恣意性と言っても過言ではない問題点など、刺激的なテーマが論じられ、興味深い。
ただ、ぼく自身としては、詩としての哲学において称揚されている想像力について、それがどのようなものであり、どのような創造性を有しているのかといった問題にもう少し踏み込んでもらえると有難かった(もちろん、そうした問題について、示唆的な記述も幾つかあった。例えば、デイヴィドソンのメタファー論に触れたp113~115や、ロックの複合観念のうち、「様態」(mode)観念に触れたp142~144など)。