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感情の擬人化

「世界でいちばんおもしろい英米文学講義-巨匠たちの知られざる人生」(エリオット・エンゲル著・藤岡啓介訳)を読んだ。かなりお薦めの一冊。12人の英米の文学者の人生のエピソードに触れた本。

マーク・トゥエインが、コカインの密売に手をそめながら、それを思わぬ形で断念する話や、天才作家ポーが、アメリカを訪問したイギリスの人気作家ディケンズと面会をし、その面会がきっかけで、名作Ravenが誕生した話など、面白い話が満載されている。

特に面白かったのは、 小説を書いて6800万ドルも稼いだという ディケンズの章。ディケンズの幼少の頃、父親が借金を返済できず、家族は債務牢獄で暮らすことになり、その借金を返済するために彼は、子供ながらに働いたという。23歳のときに、文章による街角の情景スケッチをはじめ、後にそれを本とする。その本は全く売れなかったが、ひょんなことから、その本がある出版社の編集者の目にとまり、ロバート・シーモアという人気風刺画家の本に文章を提供しないかと持ちかけられる。それに対して、ディケンズのとった行動は?

ここから先は、ぜひ本書で読んでほしいが、これを気に新聞等でみられる連載小説やTVの連続ドラマのかたちがつくられることになる。さらにディケンズは、同じ小説を、読者に3回も売る方法を編み出している。ディケンズの作家としての経済的成功を支えたのは、彼の文学的才能はもちろんであるけれど、それ以上に彼の一流のビジネスセンスが根底にはあったといえるだろう。この本には、フィッツジェラルド、ポー、ワイルドなど悲惨な末路を辿った作家も出てくるが、彼らとディケンズを画するのは、このビジネスセンスの差だろう。

また、ディケンズの小説の登場人物は、実在の人物はおらず、よく読めば、絶対にあり得ない人物像が造形されている。しかし、それでも人々は彼の小説の登場人物に感情移入し、そこにリアリティを感じるのはなぜか。

その秘密をエリオット・エンゲル氏は次のように述べる。「彼の描く人物は人々の心の内にある感情を擬人化した人物なのです。」(p185)なるほど、感情を擬人化したわけか。吝嗇、卑劣、嫉妬などの情念・感情は、多かれ少なかれ、僕らは皆、持っていて、それがどのようなものであるか理解できる。ディケンズはその感情に人格を与えたのだ。人物を描こうとしたのではなく感情を描こうとしたのである。これは、小説を書くうえで、大変に参考となる指摘だ。この指摘と出会えただけでも、この本は忘れられない一冊となった。