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寺山修司

ぼくが表現者として畏敬の念を覚えるのは、寺山修司である。

 YouTubeで寺山の講演やインタビューを視たが、彼による演劇に対するラディカルな捉えなおしを凄いことであると思った。天井桟敷の演劇も人力飛行機舎の映像作品も60年代後半以降の時代風潮のなかで生まれた表現活動と言えるだろう。しかし時代的な拘束を超えて、普遍性も有しており、その部分は現在を生きる者でも継承可能なものである。

 今日は、若い頃に購入して、そのまま読めていなかった「寺山修司の戯曲」(思潮社刊)から、「大山デブコの犯罪」と「青森県のせむし男」を読んでみた。いずれも面白かった。このシリーズは、その後9巻まで出ているようだ。

 これまで読めなかったのはなぜか、よくわからないが、読む必然性みたいなものが自分のなかで感じられなかったからだろう。一つには、寺山が「戦後詩」という著書において批判している荒地派の詩を基礎において、その影響下でぼくが創作活動を行って来た事と無縁ではない。寺山は俳句、短歌から演劇(戯曲)、エッセイと、あらゆる方向に創作を展開していったが、いわゆる現代詩的な展開はすっぽりと抜け落ちている。寺山には、彼が周到に避け、否定したものが確かにあるのだ。荒地派の詩のなかに詩の典型を見出し、それを模倣しようと考えていた若い頃のぼくにとっては、寺山の詩作品は物足りないものに思え、戯曲集も興味はあって購入はしたものの、詩そのものではないとの思い込みから、そのまま放置してしまったのだろう。

 寺山は「戦後詩における肉声の喪失」を嘆き、戦後詩における「詩人格の貧困」をつぎのように批判する。「戦後詩を読んで、私の感じたことは何よりもまず、詩人格の貧困ということであった。詩人たちはみな「偉大な小人物」として君臨しており、ユリシーズのような魂の探検家ではなかった。詩のなかに持ち込まれる状況はつねに「人間を歪めている外的世界」ではあっても、創造者の内なるものではないのだった。」

 そして、戯曲というかたちで彼が展開したのが、彼にとっての詩であり、それは戦後詩から現代詩へと続く流れと異なる、もうひとつの詩の呈示であったと、ぼくは思う。いわゆる現代詩が隘路に陥っているとすれば、そこから脱する道の可能性のひとつを示しているのが寺山修司の戯曲群ではないだろうか。