円堂都司昭氏の「ソーシャル化する音楽「聴取」から「遊び」へ」を読んだ。
現在、音楽の解体が進んでいるという。
「ヒップホップ、テクノなどのサウンドスタイルのレベルからエア芸のようなお笑いのレベルまで、音楽をガジェット(仕掛け、小道具、装置)として扱い、遊ぶようなあり方が、素直に、あるいは真面目に歌い、演奏し、聴く行為に拮抗し、凌駕するかのごとき状況」(p45)を本書は様々な具体例を挙げながら指摘する。
超ロボット生命体のトランスフォーマーのように、音楽は今や「分裂、変身、合体と様々な方法で姿をトランスフォームしていく」。その一方で、どんなに変化しても、トランスフォーマーの「キャラクター設定自体は揺るがない」のと同様に、トランスフォームされる音楽においても「アーティストのキャラクター性が求められること自体は変わらない」(p46)。
音楽のトランスフォームは、「単なる聴取ではなく」、「演奏者のルックスやキャラクターもセットで消費される」「視聴」ともいうべき、ポップミュージックの享受のありかたから生まれたという。単に聴くという行為だけではなく、「音楽を加工」したり、「音楽つきの動画を」つくったり、「演奏するふりをすること」など、様々な形で、消費者は音楽とかかることが可能となっている。そうした音楽とのかかわり方を著者は「音楽遊び」という。
これからの時代、音楽とビジネスとして関わろうと考える者にとって、踏まえておくべき変化がこの本には、明晰なかたちで分析されている。良書だと思う。作品は、送り手のみが作成するものではなく、受け手の能動的なアクションとの関係のなかで、変形されながらかたちになる。エーコの「開かれた作品」などで指摘されていた事態が、音楽の世界でも進んでいることが本書を読むとわかる。受け手は、送り手の想像もしないやり方で、作品を享受することが増えていることを踏まえ、その状況を積極的に取り入れて、作品づくりをせねばならない。