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古史古伝

「日本のまつろわぬ神々 記紀が葬った異端の神々」(新人物往来社)を読んだ。特に興味深く読んだのは、第4章の「古史古伝のまつろわぬ神々」である。

ここで扱われている古史古伝は、「竹内文献」「秀真伝」「富士古文献」「上記」「契丹古伝」「桓檀古記」「物部文献」「九鬼文献」「但馬国司文書」「甲斐古蹟考」「カタカムナ文献」である。

このなかで、神武天皇以前に、ウガキフキアエズ朝という王朝が存在していたと描いているのが、「竹内文献」「上記」「富士古文献」である。こうした古史古伝が現れた一因について、著者原田実氏はつぎのようにいう「『日本書紀』の神武即位前紀には、天孫降臨から神武東征の開始まで、百七十九万二千四百七十年余りもの歳月が流れたという記述がある。これが誇張だとしても、ニニギ-ヒコホホデミ-ウガヤフキアエズというわずか三代の年代とするにはあまりにも課題である。また中世にも『曾我物語』真字本に「ウガキフキアエズが本朝を治めること十二万三千七百四十二年、その後、神代の絶えること7千年、安日という鬼王、世に出て本朝を治めること7千年」とあるように、ウガキフキアエズ在世から神武天皇の登場までに年代的ブランクがあるという伝承があった。その辺りにウガキフキアエズ王朝の神話が生まれる原因の一つがあったのかもしれない。」(p229)

ウガキフキアエズ朝の神話でも特にスケールが大きいのが、竹内文献におけるものである。この当時の天皇は、天之浮船というものに乗って、全世界を行幸(それを万国巡行という)したというのだ。竹内文献の所蔵・公開者は、茨城県で天津教(皇祖皇太神宮)という新宗教を開いた竹内巨麿という人物であるが、原田氏はこの竹内文献について、「巨麿が天津教開教後、それがまったくの新宗教ではなく自らの郷里にあった古社の再興だと強弁するため、皇祖皇太神宮の先史を造作していったというのが本当のところだろう」と述べる。そして天皇の万国巡行やキリスト、モーゼ来日などの伝説の要素が盛り込まれたのは、酒井勝軍(かとき)なる人物の影響が大きかったとされる(p203)。

天之浮船による万国巡行など、竹内文献等に描かれている内容は荒唐無稽であるが、そもそも神話とはそういうものであろう。もしその点を捉えて、これらの古史古伝を否定しようとすれば、あらゆる神話が否定されなければならなくなってしまう。いつ誰が作ったものなのかという点で真偽が問われることになるのだが、原本が失われ、写本として伝承されていると言われてしまうと、否定のしようがなくなってしまい、信仰の次元においては、こうした古史古伝が意義を持ち得てしまう。なんとも興味深いことである。