ドラッカーは『現代の経営』(The Practice of Management)において、企業の目的を「顧客の創造」(=to create a customer)にあると述べた。また、『マネジメント』において「顧客満足があらゆるビジネスの使命であり目的である」(To satisfy the customer is the mission and purpose of every business.)と述べている。顧客に満足を与えることが、顧客を創造をするうえでのキーポイントといえるだろう。
顧客満足といっても、一時的なもの、一過性のものであってはならない。満足した顧客が、再び、自社との関わりを積極的に持とうという状況まで造りださねば、その事業が成功したとは言えないだろう。顧客が、ある企業の製品を再び手にとろうとするとき、その顧客の内心には、その企業に対する「信用」が生まれている。そうした信用を与えてくれる人こそが、その企業にとっての顧客といえるだろう。
だから、僕なりに「顧客の創造」を言い換えるなら「信用の創造」となる。信用創造こそが企業が日々の営みのなかで目指すべきものだと思う。堀江貴文氏は、『新・資本論 僕はお金の正体がわかった』(宝島社新書)という本のなかで、お金の本質について「お金は信用の数値化だ」(p48)と述べている。さすがだなと思う指摘だ。
信用の創り方について堀江氏は、次のように述べている。まず「信用」とは、「自分自身を生かしていく自分の力」であり、それは成功体験によってつくられると堀江氏はいう(p58)。成功するためには、①「リスクをとって自ら動く」という意味での投資をすること、②他人とコミュニケーションを図り、他人との繋がりを造ることが大切だという。お金を稼ぐためには「信用、投資、コミュニケーション、この三者の上昇する循環系(サーキュレーション)」(p63)を産み出すことが大切だというのが、堀江氏の考えだ。
堀江氏の信用論には「顧客」という概念が全く出てこない。他人は出てくるが、それは顧客ではない。信用を「自分自身を生かしていく自分の力」と述べ、そこに他者からの評価という視点が全く入っていないのも非常に独特だと思う。その点が、堀江氏らしいとも思う。しかし、それでも堀江氏の指摘は、かなり鋭く本質を突いていると思う。
堀江氏は、リスクをとるという意味での投資が必要だというが、顧客の必要を満たす製品やサービス、あるいは流通方法などが、これまでに類似のものがなければ、ないほど、ビジネスチャンスはひろがるだろう。そしてそうした新規性を追求することは、リスキーであって、そうした事業を行うこと自体が、投資であるともいえるだろう。そうしたリスクをおかさずに、従前から存在する製品やサービスを提供するということになれば一般論としてリターンはあまり期待できないだろう。
とろこで、「信用」と似た言葉に「信頼」がある。信用と信頼の違いについて、少し考えてみた。
信用は信じて用いる、信頼は信じて頼るということ。信頼は、情的なものに根差すが、信用は、ロジックに根差しているのではないか。そこに両者の違いを求めることができるのではなかろうか。ただ、その差は相対的なものであって、信頼の根底にもロジックはあるだろうし、信用の根底に好嫌感情が存在することもあるだろう。だから情とロジックのいずれに強調点が置かれるかという違いだと思う。
僕が尊敬し、お世話になっている経営者の方をみていて思うのは、物事を判断する際にきちんとロジックがあること。ロジックがある、というのは、例えば、損得勘定ができるということ。あるいはお金との関係性で言えば、受け取る意味のあるお金はしっかり受け取り、受け取る意味のわからないお金は受け取らないということ。そういう人は信用される。
信用関係は損得勘定を基盤とし、原則として、そこから離れることはしない。それに対し、信頼関係は、時として損得勘定を超えた判断や行動が求められることもある。ビジネスは言うまでもなく信用関係を基盤として成立するのであって、損得勘定を超えて、お客さんに過剰なサービスをしたりすると、そうした無理の結果、かえって信用を失ってしまうこともある。しかし生きていくうえで、支えとなるのは、信頼関係である。ビジネスを行う際の、パートナーとの間に信頼関係があることは、極めて重要である。