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人道的介入

「人道的介入-正義の武力行使はあるか」 (最上敏樹・岩波新書2001)を読んだ。

ディートリッヒ・ボンヘッファー牧師はナチスのユダヤ人虐殺の激化のなか、ヒトラー暗殺計画に加担し、1943年に逮捕、45年に強制収容所で処刑された。

モーゼの十戒の「汝、殺すなかれ」という掟を破ってまで彼が実現しようとしたもの。「極限の暴虐のなかで、同胞たちのためにあえて殺人を犯すという罪を引き受ける」ボンヘッファー的状況。絶対平和主義と絶対倫理とが衝突するその極限状態から、著者は人道的介入の問題を論じ始める。

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人道的介入とは、英国の国際政治学者アダム・ロバーツの定義によれば、「ある国において、住民に対して大規模に苦痛や死がもたらされているとき、それを止めることを目的として、その国の同意なしに軍事力をもって介入すること」である。

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国連体制下にあっては、国連憲章2条4項によって、特定の国による武力行使は、自衛権行使の場合以外は禁止されており、安全保障理事会で平和を乱すと認定された行為への対抗措置としての国連による武力行使が認められるにすぎない。
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1999年3月24日、NATOが新ユーゴスラヴィアへの空爆を開始した。同国のコソヴォ自治州においてアルバニア系住民が受けている非人道的状況から救い出すことがその目的とされた。空爆は78日間、出撃回数は3万6千回、爆撃回数は1万7000回にのぼる。

この空爆は、安保理の決議なしに行われた。この行為は、合法化され得るのか。

これまでユーゴ空爆は人道的介入であるという前提で問題が単純化され、是非が論じられた嫌いがあると著者は指摘し、そもそも許容される人道的介入といえるのか、というところから議論を展開する。その議論は国際紛争問題を考えるうえでの参考となる。