李在鎬氏の「認知言語学への誘い 意味と文法の世界」(開拓社)を読んだ。認知言語学の基礎や用語をわかりやすく説いている。最初の一冊として最適だと思う。
認知言語学における意味とは、「外側に客観化された対象を指すのではなく、認知の主体である発話者の心の中に存在するもの」であるという。この意味観に基づき、言語現象を分析する際に使われる図式・表象としてイメージ・スキーマがある。
私たちの経験には「繰り返し表れる比較的単純な一定のパターンや形、規則性が存在する」。これは「人間の五感から得た情報を抽象化し、構造化したもの」であり、この「図式化された抽象的な表象」をイメージ・スキーマという。
「例えば、財布の中のコインや教室の中の生徒は、指示の対象としては全く別のモノであるが、容器(container)のイメージ・スキーマを利用した言語表現ということでは同じである。」(p77)経験を通じて、われわれの中にイメージ・スキーマが蓄えられるので、さきほどのように、異なる対象に対しても、同種の表現パターンを使って表現することができると考えるのである。
具体的にイメージ・スキーマにはどれだけの種類があるのか。本書のp84にジョンソン(1987)による列挙の結果が掲げられている。ジョンソンのイメージ・スキーマのことは次の本にも出てくる。
クリストファー・スモール「ミュージッキング 音楽は行為である」(水声社)
そもそも「『隠喩的に考える』とは、身体や感覚器官を通じた確固たる経験をより抽象的なパターンや概念に投射すること」(p200)であり、その結果、隠喩的な連合、即ちイメージ・スキーマが生まれる。アメリカの哲学者マーク・ジョンソンは、イメージ・スキーマは「各々の社会集団に共通する身体的経験に依拠しながら高度に構造化されている」という。イメージ・スキーマには、「人類に普遍的な経験に基づくもの」と文化によって異なるものとに分けられるという。
また、この本の著者は隠喩は、神話や儀礼とも深く関わっているとし、次のように言う。「神話は関係の成り立ちを隠喩的に語ったもので、儀礼は隠喩が行為に変化したものだ、と把握することだってできる」(p203)とても凄いことが書いてある。認知言語学的な意義における、メタファーを基盤として、神話や儀礼の本質も論じることができるというのだ。しかもそれは、身体性、パフォーマンスとも切り離せないというのだから興味深い。